
加東市から学ぶ議会改革の必要性
今こそ地方議会は、自分たち自身も変わらなければならない
兵庫県加東市議会が自主解散を決めたというニュースを見て、率直にすごいと思いました。
議員の自分が言うのも変ですが、普通はなかなかできることではありません。
議会改革を語る人はいても、いざ自分の任期や立場に関わる話になると急に慎重になる。政治の世界では、そんな場面は珍しくありません。
だからこそ、任期を残したまま、自分たちの議席より市全体の合理性を優先した加東市議会の判断には重みがあります。加東市では2026年3月23日に議会が解散し、4月26日執行予定の選挙は補欠選挙ではなく、議員14人を選ぶ市議会議員選挙になると市が公表しています。
これは加東市だけの話ではないと思います。
むしろ、岡崎を含め、これからの地方議会がどうあるべきかを考える上で、とても示唆のある出来事です。
私は以前から、議会改革は必要だと考えています。
その中でも、議員定数の見直しには賛成の立場です。
ただ、それは単に「人数を減らせばいい」と思っているからではありません。
今の時代に合わせて、議会の役割そのものを組み替えなければならない。そう感じているからです。
加東市議会の自主解散が重い理由
加東市議会の自主解散がなぜ重いのか。
それは、ただ選挙日程をそろえたという話ではなく、議会自らが、自分たちの既得的な立場に手を付けたからだと思います。
議会改革は、口で言うだけなら簡単です。
行政改革、財政改革、無駄の削減。誰でも言えます。
でも、本当に難しいのは、自分たち自身にも改革のメスを入れられるかどうかです。
議員報酬、定数、任期、議会運営。
こうしたものは、どうしても”聖域”になりやすい。
なぜなら、そこに触れると、議員自身の身分や利益に直結するからです。
だから私は、加東市議会の自主解散を、単なるコスト削減以上の意味を持つものだと思っています。
それは、「自分たちも例外ではない」という姿勢を示したからです。
なぜ今、議会改革が必要なのか
では、なぜ今の時代に議会改革が必要なのか。
私は、その理由はかなり根本的なところにあると思っています。
昔の地方政治は、今よりもずっと地域共同体のまとまりが強い時代の上に成り立っていました。
自治会、町内会、地域団体、業界団体。
そうした組織が地域の声をまとめ、議員を支え、首長を支え、政治を動かしてきました。
多くの地域では、自治会や町内会などのまとまりが、実質的に政治の基盤として機能していた面があります。
そして、その地域基盤の延長線上で、与党系、自民党系の議員が支えられ、同じくそうした流れに乗る市長が生まれ、議会の多数派と首長が同じ方向を向きながら物事を進めていく。そういう政治の形は、長く地方政治の一つの基本だったと思います。
高度経済成長期や人口増加の時代には、それには大きな意味があったとも思います。
道路をつくる、学校をつくる、上下水道を整える、住宅地を広げる、企業誘致を進める。
とにかく前へ前へと進める力が必要だった。
市長と議会の多数派が同じ方向を向き、スピーディーに意思決定することが、地域の発展を支えた面は確かにあったはずです。
その時代の政治を、全部悪だったかのように単純に切るつもりはありません。
実際、それが日本の経済成長やインフラ整備を支えてきた部分はあると思います。
ただ、問題は、その成功体験を今もそのまま続けていいのかということです。
昔の仕組みでは、今の時代に合わなくなってきている
今は、あの頃とは前提がまったく違います。
人口は減少局面に入り、少子高齢化が進み、地域のつながりも弱くなっています。
自治会や町内会に入っていない人も増えました。
家族の形も働き方も価値観も多様化し、昔のように「この地域の声はこれ」とひとまとめに言える時代ではなくなっています。全国的にも自治会・町内会加入率の低下や担い手不足は課題として整理されています。
つまり、昔のような”地域統治型”の政治だけでは、今の社会の実態をつかみきれなくなっているということです。
それにもかかわらず、政治の側だけが昔の構造を引きずっていると、何が起きるか。
一部のまとまった声ばかりが通りやすくなり、組織に属していない人、既存の枠組みからこぼれる人、声はあるのに政治に届きにくい人たちが置き去りになっていきます。
さらに問題なのは、そうした古い構造の中では、政治家自身の判断も鈍りやすいことです。
特定の政党や組織の支持を受けると、どうしても独立した判断が難しくなることがあります。
極端に言えば、「右を向け」と言われたら右を向かなければいけない。たとえそれが非合理でもです。
私は、それが嫌でした。
だから完全無所属なのです。
もちろん、選挙においては不利です。
組織もない、後ろ盾も薄い、選挙の効率だけ考えれば賢いやり方とは言えないかもしれません。
それでも、私はその立場を選びました。
なぜなら、市民のために本当に必要な判断をしようと思った時、最も大事なのは、誰かの顔色ではなく、自分の責任で賛成も反対も言えることだと思っているからです。
非合理なものには非合理だと言う。
必要なものには必要だと言う。
その当たり前のことが、組織や力関係のしがらみで言えなくなるなら、議会の本来の役割は弱くなってしまいます。
本来、地方自治は二元代表制です。
市長も議会も、それぞれ市民から直接選ばれています。
だからこそ議会は、市長の追認機関ではなく、緊張感を持ってチェックし、ときには修正し、ときには立ち止まらせる役割を持っています。岡崎市議会のしおりでも、市民との関係や市長等との関係、資料提出、政策立案等が議会基本条例の柱として整理されています。
でも、長年の政治文化の中では、市長と議会多数派が”同じ側”として動くことが当然のようになり、その結果、チェック機能が弱くなることがあります。
本来なら「それは本当に必要か」「優先順位は正しいか」「市民全体の利益につながるか」と問うべき場面で、空気を読んで通してしまう。
それでは議会の役割を果たしているとは言えません。
既得権や古い構造に切り込む時代に入っている
もちろん、ここで気をつけたいのは、何でもかんでも昔の政治が悪かったと乱暴に言うことではありません。
ただ一方で、建設業との距離感、既得権との癒着、談合、裏金といった問題が、日本の政治の中で繰り返し起きてきたのも事実です。
そうした構造の中では、政治が市民全体のためというより、特定の業界や特定の関係者のために最適化されやすくなります。
そして、その延長線上で議会までが”監視する側”ではなく”守る側”になってしまえば、本来の二元代表制は機能しません。
今は、人口が増え続け、税収が伸び続け、とにかく箱物や道路を増やせば正解という時代ではありません。
人口減少、財政制約、福祉需要の増加、インフラの老朽化、地域コミュニティの弱体化。
難しい課題が同時に押し寄せる時代です。
だからこそ議会には、
慎重であるべきところは慎重に、変えるべきところはドラスティックに変える判断
が求められています。
前例を守るだけでもだめ。
勢いだけで進めるのでもだめ。
今の時代に合った判断を、責任を持って下す議会でなければいけません。
そのために、議会改革が必要なのです。
定数や報酬の削減は「金額」だけの話ではない
議員報酬や定数を削減したところで、市全体の予算規模から見れば大した金額ではない。
そういう声はたしかにあります。
それは、その通りかもしれません。
岡崎市のような規模の自治体で考えれば、議員定数や報酬を少し見直したからといって、財政が一気に楽になるわけではありません。
それだけで何十億円も生まれるような話ではないでしょう。
でも、私はそれでも意味があると思っています。
なぜなら、そこで問われているのは、単なる金額ではなく、姿勢だからです。
自分たちに関わるところは絶対に触らない。
行政や市民には改革を求めるのに、自分たちのところだけは聖域。
それでは、市民の信頼は得られません。
逆に、たとえ金額としては大きくなくても、
「自分たちも例外ではない」
「聖域と思われていた部分にも手を付ける」
「少しでも街を良くしたいという気概がある」
そういう姿勢が見えたとき、市民の受け止め方は大きく変わると思います。
私は、そこにこそ大きな意味があると思っています。
改革というのは、数字だけで測れるものではありません。
その組織が本気で変わろうとしているのか。
市民の方を向いているのか。
自分たちの都合より、街の未来を優先できるのか。
そこが伝わるかどうかは、とても大きいです。
私は議員定数削減に賛成です
私は、議員定数の削減には賛成です。
理由は、単に人数を減らしたいからではありません。
3000億円規模の予算の使い道を承認し、条例や重要な意思決定に関わる議会である以上、より高い緊張感と競争が必要だと思っているからです。
岡崎市議会の定数は条例で37人と定められており、令和8年度当初予算案の一般会計は1548億5000万円です。一般会計に加えて特別会計や企業会計を含めると、市政全体の意思決定規模はさらに大きくなります。
岡崎市のような規模の自治体は、ある意味で一つの超大企業のようなものです。
その意思決定に関わる立場なら、誰でもいいわけではない。
議案を読み込む力、財政を見る力、行政をチェックする力、発信力、市民の声を拾う力。
そうしたものが今まで以上に求められるべきです。
定数を減らせば、市民一人ひとりの声が拾いにくくなるのではないか、という指摘もあります。
それは大事な論点です。
ただ、私はそこも工夫次第だと思っています。
今はテクノロジーが進歩しています。
SNS、LINE、フォーム、オンライン面談、地域ごとのデジタル発信。
市民の声を拾う手段は、昔よりはるかに増えています。
むしろ、そうしたツールを使いこなし、限られた時間の中でより多くの声を拾える議員が増えるべきだと思っています。
「人数が多いから安心」ではなく、どう声を拾い、どう政策に反映するかという質の勝負に変わっていくべきです。
本当に必要なのは、削減そのものではなく議会の再設計
ただし、ここは誤解されたくないのですが、私は定数や報酬を削ればそれで議会改革が終わるとはまったく思っていません。
本当に必要なのは、議会の再設計です。
議員の定数は適正か。
議員に求められる能力は何か。
議会の情報公開は十分か。
市民の声を拾う仕組みは時代に合っているか。
市長へのチェック機能は本当に働いているか。
前例主義や空気で流される構造を変えられるか。
ここまで踏み込まなければ、議会改革とは言えません。
昔の地域代表の寄り合いの延長のような議会ではなく、
未来の自治体運営を監督し、市民全体の利益のために判断する機関へ。
議会はそこに進化しなければならないと思っています。
結び
加東市議会の自主解散は、単なる地方ニュースではないと思います。
それは、地方議会が自分たち自身にも改革のメスを入れられるのかを問う出来事だったからです。
今の時代、議会に求められているのは、昔と同じやり方を守ることではありません。
人口構成も、地域社会の形も、市民の価値観も大きく変わった中で、議会の役割そのものをアップデートしていくことです。
私は、議会改革を「誰かを困らせるための改革」だとは思っていません。
「今の時代に政治をきちんと機能させるための改革」だと思っています。
だからこそ、定数、報酬、情報公開、市民参加、チェック機能。
聖域をつくらず、必要な見直しを進めていくべきです。
選挙だけを考えれば、不利でも。
組織を持たず、完全無所属で戦うのが簡単ではなくても。
それでも私は、誰かに右を向けと言われて右を向く政治ではなく、自分の責任で市民に向き合う政治を選びたいと思っています。
議員の自分が言うのも変ですが、
改革を語るなら、まず自分たちから。
私は、そういう議会でありたいと思っています。



