小5の1冊から、議場まで。
食・空手・IT。遠回りに見えた道が、
いま一つになっています。
居酒屋「だんらん」と、1冊の本
祖母が名付け、営んでいた居酒屋「だんらん」を、寿司職人の父が継いでいました。常連さんでいつもにぎやかで、父の料理と会話で笑顔があふれる店でした。
ところが3歳のぼくが、いたずらでその店を燃やしてしまいます。「いつか家族で、もう一度お店を」。その思いは、ずっと家族の中にありました。
小学5年生のとき、父から『栄養成分バイブル』を渡され、給食のカロリーを計算する子どもになりました。
料理人志望から、管理栄養士へ
中学生のころは、中卒で寿司職人になった父にあこがれて、料理人になるつもりでした。料理と空手ばかりで勉強をせず、調理国際科には入れず普通科へ。そこで「管理栄養士がとれる大学に行く」と決めました。高校1年生のときです。
至学館大学で一番苦労したのは勉強。管理栄養士の国家試験は、最後の最後まで受かるか分かりませんでした。

「食の力」を、自分の体で
運動能力は、ごく並のほうでした。それでも全日本空手道選手権大会で通算13回優勝。大学時代は1年から4年まで、4年連続で優勝しました。
勝てた理由は、毎日の稽古と、大会の日に力を出し切るための食事とコンディショニング。体の大きな選手にも負けませんでした。
やっぱり、食の力って強い。

回り道と、東京での2年
2015年4月、株式会社アイガに入社。管理栄養士がスポーツ栄養を指導する新しい事業に入るはずが、その事業はすぐになくなりました。辞めるか、マーケティングを学ぶか。「マーケティングを学んだ管理栄養士も、いいんじゃないか」と前向きに選びました。
とはいえ、社会人1年目の最初の数か月は、毎朝起きて8時間働く毎日が、どうにも現実のことに思えませんでした。「みんな、こんなことをしているのか」と少し絶望して、宝くじを買おうか毎日迷っていたほどです。結局、一度も買いませんでしたが。
そこから最初の2年間、東京の大手宅配ピザチェーンに出向しました。芸能人と関わる仕事や、超大手企業からの提案をクライアントの立場で受ける、きらびやかな世界。出向先の皆さんにとても良くしていただき、学んだことは数えきれません。
社会人としての基盤は、
この2年でできあがりました。

2023年2月15日、眠れなかった夜
岡崎の市議会議員がぼくのInstagramをフォローしていると知り、「市議会議員って何だろう」と調べはじめました。岡崎で暮らす人の困りごとを、ぼくはまだ知らない。気づけば朝でした。
その朝、妻に「来年10月の選挙に出る」と伝え、出勤して上司にも話しました。
決めたら、すぐ動くタイプです。
議場に立つ、管理栄養士
2024年10月、初めての挑戦で3,444票をいただき、初当選しました。開票の夜は、空手の師匠や仲間、家族とみんなで万歳をしました。
いま一番うれしいのは、「本多に相談したら、何か良くなるかも」と頼っていただけることです。
誰かの「困った」を
解決することが、
性に合っている。

もう一度、だんらんを
3歳のあの日から家族の中にあった「いつかまたお店を」は、家族で営む和モダンカフェ Sun on Tow として形になりました。
その名前には、会ったことのない祖母の言葉が生きています。
